【横須賀市】佐原十郎義連の居城「佐原城跡」に行ってきました!
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも登場している三浦氏。今回は三浦大介義明の子、佐原十郎義連(よしつら)の居城「佐原城跡」に行ってきました!
場所は京急バス「久里浜電話局」バス停より徒歩約10分。横浜横須賀道路の高架脇の道に入っていきます。
今回は久里浜方面から向かっていたため、「久里浜電話局」バス停から向かいましたが、久里浜観光協会のホームページには、「佐原橋」バス停より徒歩約6分のルートが紹介されています。
道なりに進んでいくと、「佐原城跡」と「三浦学園佐原グランド」「横須賀ダイヤランドテニスクラブ」の案内標識が立っています。案内に従い、右に進みます。
「佐原城跡」の入口です。
フェンスに道案内の看板が設置されています。
隣には学校法人三浦学苑「佐原グランド」。手前には「横須賀ダイヤランドテニスクラブ」があります。このエリアには他に「横須賀グリーンゴルフ」や「横須賀フットサルクラブ」などがあり、スポーツを楽しむ方たちの歓声が聞こえてきます。
坂道を登っていきます。今は道が舗装されているため楽に登ることができますが、昔の佐原城は堅固な山城だったことを感じさせます。
頂上には、佐原十郎義連の居城「佐原城跡」の石碑がありました。
佐原町内会の製作した看板には、加茂元善『久里浜志録』(大正2年)の現代語訳と航空写真が掲載されています。
衣笠城が落城して、佐原十郎義連が源頼朝と合流するために房総半島に向かってから、佐原城は敵に火を放たれ、平氏打倒後に再建されました。
石碑は1893年(明治26年)に佐原の里民が建立したものです。石碑の前面には「佐原十郎義連城跡」と刻まれています。
石碑の側面には「明治卄六年九月八日佐原里民建立之」と刻まれています。明治時代の佐原里民が石碑を建立して、現代の佐原町内会の方々が保存活動を続けています。
佐原城跡は特に山城の遺構が残っているわけではありませんが、山々に囲まれた自然を満喫できるエリアにあります。みなさんも佐原城跡まで歴史散歩に行ってきてみてはいかがでしょうか?
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